株式の限界とそれでも株式投資すべき理由

前回の記事で超長期(約200年)の米国株・国債・金(ゴールド)・預金のリターンのグラフを示しました。

日経マネー

米国株式の実質リターン200年

このグラフはジェレミー・シーゲル(Jeremy J. Siegel)氏の著書「株式投資(原題:Stocks for the Long Run)」(2014)からの引用で、私のブログだけでなく色んな投資関連のブログで引用されています。

取り上げられ方としてはこのグラフから長期には債券やコモディティより株式投資が有利であることが証明されたので「株式投資を始めよう」や「インデックス投資を永く続けるための心構えとして活用しよう」などがあります。いずれにせよ株式の高い成長率がこれからも続くことを前提としているのですが、株式のすばらしいリターンが200年超続いたからといってこれからもそのリターンを得続けることができるのは素朴に疑問に思います。

そこで今回はなぜこれまで株式は高いリターンを実現してきたのか、またこれからもそのリターンは続くのかを考えてみます。

株価の高い上昇は株式会社による駆逐の歴史

グラフは消費者物価指数の上昇(インフレ率)を考慮した値になっています。1802年から2015年の113年でおよそ100万倍になっているので、株式は消費者物価指数を考慮しても年約7%のリターンをたたき出してきた計算になります。配当再投資でのリターンが7%なので配当を3%とすると株価自体も年4%のリターンを示しています。株価は株式会社の値段(時価総額)と比例しますので、株式会社の値段は消費者物価指数を考慮しても年率4%で高くなってきていると言えます。

消費者物価指数は世帯が消費した財・サービス(衣食住・医療・娯楽など)に掛かったお金のことで、大雑把に言えば食べ物・服・住居・医療サービス・映画や遊園地のチケットなどの重み付け平均価格です。つまり私達の身の回りの商品・サービスと比較して株式会社の値段は年約4%で高くなりつづけているわけです。

株式のリターンは配当再投資と株式会社の成長(株価の成長)によるものですが、これは株式会社が市場経済においてその存在感を大きくし続けてきたことを意味しています。逆に言うと200年前は今ほど株式会社の存在感は大きくなかったということです。

アダム・スミスの描いた十八世紀の個人資本主義の世界では、市場経済の主役は知力と勤労と資本を用いて事業を営む小売商、職人、農民、あるいは個人企業だった

間宮陽介「法人企業と現代資本主義」岩波書店

グラフは1802年(十九世紀初頭)から始まっていますが、十九世紀は産業革命により株式会社制度が急速に浸透していき小売商、職人、農民、個人企業を市場経済から駆逐して来た時代です。この傾向は今も続いており、卑近な例でいればイオンができたことで近所の商店街が軒並みつぶれることと同じです。

株式のリターンの限界

これまでの株式のリターンが物価の成長率より高いことは株式会社が他の市場参加者を駆逐してきたことで説明がつくとして、だとすればこれからもずっと株式の高いリターンが続くことを期待してよいのでしょうか?

答えは明らかにNOです。なぜならば他の市場参加者を駆逐しきった時点で株式会社の成長は鈍重になるからです。市場参加者が株式会社のみになったときに株式のリターンがどうなるかを物価との関係性で考えてみます。(実際には国家によって提供されるインフラ整備や個人企業によって満たされるニッチなニーズがあるので株式会社のみが市場参加者になるということはありえませんが、市場全体における株式会社の割合が一定(例えば80%)に落ち着いたとしても以降の議論は大きく変わりませんのでここでは株式会社のみを考えます)

市場参加者が株式会社のみになった場合、株式会社の成長=市場全体の成長です。そして市場全体の成長はマネーサプライ(通貨供給量)におおよそ比例します。また通常はマネーサプライと物価はおおよそ比例します。(個々の年度でみると市場全体の規模とマネーサプライと物価の関係は比例しないことはよくありますが、長期の傾向では3者は比例します)

よって株価は物価と同程度にしか成長しないことが導かれます。この場合株式のリターンは配当(インカムゲイン)のみであり、キャピタルゲインは望めません。

また株価と純利益の関係を考えても同様の結論に至ります。市場参加者が株式会社のみになった場合、全ての企業の純利益の合計=マネーサプライの増加量です(マネーサプライが変わらない場合、企業活動はゼロサムゲームです)。株価と純利益が比例する(PERが一定)とすると株価の成長∝純利益の成長=マネタリーサプライの増加量(∝物価)です。この考察によっても株価は物価と同程度にしか成長しません。

1802年からの超長期のデータでは株式のリターンは物価よりずっと高かったですが、株式会社が他の市場参加者を駆逐しきった後は配当のみが株式のリターンです。これが株式のリターンの限界です。

それでも株式に投資すべき

これまでのような株式の高いリターンは永遠に続くものではありませんが、それでも株式に投資すべきだと考えています。その理由は主に2つあります。

  • 他の投資対象で株式より魅力的なものがない
  • 株式会社が他の市場参加者を駆逐しきるまでにはまだまだ時間がかかりそう

株式によるリターンが配当のみになったとして、他の投資対象はなにがあるでしょう?債券、不動産(REIT含む)、コモディティ、FXなどが考えられますがいずれも株式の配当と同程度かそれより低いリターンしか望めません。短期的安定性や分散効果を考えて債券やREITをポートフォリオに組み入れる価値はあるでしょうが、それでもやはり株式に全く投資しないというのは愚策です。

株式会社が他の市場参加者を駆逐しきったらキャピタルゲインは望めません。しかし世の中には中小企業・個人商店・フリーエージェントは身の回りにたくさんいて株式会社が駆逐しきるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。発展途上国での市場開拓などグローバルに見れば株式会社が成長する余地は多いでしょう。

個人インデックス投資家にとって幸せな時代

私の株式投資方法はインデックス投資ですが、株式会社全体の成長はまだまだ続きそうなことはインデックス投資家にとって喜ばしいことです。個別銘柄選択せずともある程度のリターンを見込めるからです。

私がインデックス投資を始めたのは1年前からなので昔のインデックス投資環境は知らないのですが、10年来のインデックス投資家の水瀬ケンイチ氏によると投資環境はかなり良くなってきているようです。

梅屋敷商店街のランダム・ウォーカー

さて、「十年一昔」といいますが、10年前の2005年は、いったいどんな年だったか覚えておられますか。

(中略)

インデックス投資環境も、今とはまるで違う状況でした。当時はインデックスファンドの繰上償還や取り扱い廃止が頻発しており、SMTやeMAXISなどの低コストなインデックスファンドシリーズはまだ存在すらしておらず、ネット証券で海外ETFを購入することもできませんでした。関連書籍も、洋書の翻訳本くらいしかありませんでした。

そう考えると、この10年でインデックス投資環境は大きく変わりました。それも、個人投資家にとって良い方向にです。低コストなインデックスファンド・ETFが続々登場してしのぎを削り、ネット証券で海外ETFにも投資可能になりました。

市場活動における株式会社の割合が大きくなっている過渡期にいること、そしてインデックス投資環境がかなり整ってきていることを考えると今が個人のインデックス投資家にとって幸せな時代といえそうです。

何百年後に今の時代を振り返ると「株式のインデックス投資をしていれば個人でも物価上昇よりはるかに良いリターンを得ることが出来た幸せな時代」と言われているかもしれません。

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コメント

  1. はじめまして!
    株式以外も利益を出すことはできるかもしれませんが株式が最もリターンの期待値が高いということは今後もしばらく(数十年)は続くと思っています。

    極論ですが資産は株式+現金でいいと思うんですよね。実際私もそのようにしています。

    はやくリタイアできるといいですね~。

    • 楢道ショウゴ より:

      クロスパールさん
      コメントありがとうございます。
      株式がもっとも期待値が高いというのは私も数十年あるいは数百年続くと思っています。少なくとも私が寿命を迎えるまでは続くでしょう。
      株式+現金のみというは思い切ったポートフォリオですね。僕もそのようにしていますが、僕は独身貴族の気楽さによるところが大きいです。

      ブログ拝見しましたがクロスパールさんもセミリタイアを目指しているんですね。お互い頑張りましょう!
      それでは夏休みお楽しみください。